宇宙の中心でアイを叫ぶ

唯物論と唯心論。
どちらかといえば、個人的には唯物論がしっくりとする。
あらゆる知覚が消え失せたとしても、
宇宙はただ静かに其処にあり続けるのではないか。
しかし、人間世界は唯心論で成り立っているとも考えている。
(多分に矛盾するが)
私にとって地球の裏側に落ちている石ころは無いに等しい。
おそらくは多くの人にとってもそうだろう。
例えば色。
色は光による視神経の刺激から生じている。
つまり存在ではなく感覚である。
故に、私が見ている青と、あなたが見ている青が同じだとは限らない。
存在そのものが見えているわけではないのだ。
すなわち、世界は脳の中にある。
人間は、自分の認識を超えることは出来ない。
全ての人は自分の中にある宇宙に生きているのだ。
人間関係も色と同じ。
人そのものを見ているわけではない。
認識と想像から生じたイメージだ。
私のことを知っている人の数だけ私がいる。
他者の宇宙に存在する私は、私であって私ではない。
ナルシシスト(ナルシスト)が自分の体裁を徹底的に作り上げるのは、
イメージを限定することにより、他者の想像の余地を奪う為だろう。
自己陶酔のあまり他者の宇宙に在る自分を許せないのだ。
他者の中に在る自分と対峙することは時に苦痛を伴う。
それは、ひきこもりの原因の一端ではないだろうか。
繰り返す。人間は、自分の認識を超えられない。
それは、人は本当の意味でわかりあうことが出来ないことを意味する。
しかしそれでも尚、人はわかりあえると信じたい。
愛は信じれば其処に在る。
信じなければ其処には無い。